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■清元「幻お七」:江戸時代の実話を舞踊化したものです。お七の生家は、本郷で有数の八百屋でした。天和の大火(本郷から駒込〜日本橋と焼きつくし、隅田川を超えて深川までおよび、翌日になってようやく鎮火)で、お七の家が焼け、駒込の吉祥寺に避難中、寺の小姓〝佐兵衛〟と恋仲となったお七。佐兵衛の手にトゲがささり、そのトゲをお七が取ってあげたのが恋の始まりだった。やがて家は再建され、実家に戻ることになったが、お七は佐兵衛に会えなくなってしまい・・・また火事になれば、佐兵衛に会える!という幼く浅はかな行動で付け火をしてしまったのです・・・。当時〝火事と喧嘩は江戸の花〟という言葉が残るほど、日本の江戸時代は頻繁に大火が勃発。原因としては放火が多く記録されており、動機は様々でしたが、捕えられた放火犯は罪が重く、見せしめとして、市中引き回しの上で火刑にされ、お七も、鈴の森の処刑場で処せられたのでした・・・16歳という若さでした。お七の一途な悲恋は、その後、近松門左衛門の「浄瑠璃」、井原西鶴「好色五人女」、鶴屋南北「敵討櫓太鼓」で題材として取り上げられ、今も名を残す。お七のお墓は、文京区白山の円乗寺というお寺で、ひっそりと供養されています。どうか、来生では恋が実りますようにと祈る若い女性が多く訪れるそうです。
■長唄「近江のお兼」:文化十年初演。琵琶湖西南岸の近江八景をテーマにした、八変化舞踊の中の一曲です。近江地方には、昔、琵琶湖で水浴びをさせていた馬が、何かに驚いて急に暴れ出し、大の男が大勢で抑えようとしたが一向に鎮まらなかったのに、一人の女性が、高下駄でその馬の手綱を踏み抑えると、馬は動けなくなって鎮まった、という〝大力女〟の伝説があります。この踊りでは、堅田の湖畔に洗濯にやって来た〝お兼〟というとても可愛らしい女の子が、実は大変な力持ちで、暴れ馬を沈めたり、大の男を相撲で打ち負かしたりと大活躍します。最後の踊り地では、高下駄でタップのようなリズムを踏みながら、長い晒をアクロバティク的に振り回し、鮮やかに踊り廻ります。凛とした〝男勝り〟な勝気さを〝健康的な色気〟で表現するのが見どころです。
■清元「お夏」:大正三年初演。江戸時代の実話。当代きっての色男だった酒屋の跡取り息子〝清十郎〟は遊び人で、19歳のとき、とうとう勘当されます。勘当とは江戸時代の制度で、届けられると相続出来なくなるばかりか、持ち物も無く家から追い出される制度。行く当てもなく、姫路城下の商家に奉公し、そこで但馬屋の娘〝お夏〟と恋に落ちます。しかし、身分制度の激しい時代、但馬屋の主人・九右衛門は、将来の事を考え、二人の仲を裂くため、清十郎にひま(今では解雇)を出します。思い余ったあげく、清十郎は主人に刀を振り重傷を負わす事件となります。その後二人は運命に逆らい、手に手を取って駆け落ちしたものの、追っ手に捕えられ、清十郎は七百両の盗みの濡衣まで掛けられました。この騒動を知った当時の姫路城主・榊原忠次は、同じ様な事件が二度と起きないようにと、清十郎を打ち首の刑に処したのでした・・・。そして、残されたお夏は、悲しみのあまり狂乱してしまいました・・・。
■長唄「操り三番叟」:嘉永六年初演。三番叟(さんばそう)は、日本に伝わる多くの芸能の中でも、大変重要な位置をしめている演目の一つです。猿楽・神楽・能・歌舞伎、全てにおいてその名を見ることが出来ます。この作品は〝操り〟という言葉からも分かるとうり、三番叟を糸の操りでお見せする面白い手法のものです。人形遣いである裃姿の後見が、人形箱から操り人形の三番叟を取り出し、糸を引き、笑っちゃうほど滑稽に踊らせ始めます。が、激しい動きのあまりグルグル回って、途中で糸がプッツリと切れてしまい、三番人形はクルクル、キューン、バタンと倒れてしまう、というところが見どころな演出。でも人形遣いは、それを慣れた手つきで直し、七五三の迫力あるリズムで足を踏み、種を蒔き、天下泰平、五穀豊穣を祈って踊らせます。ロック的リズミカルなテンポで、マリオネットとパントマイムを併せたような作品です。★人形遣いは、私の尊敬する大先輩「藤間章吾」さん。章吾さんのお陰で、舞台の格調、演出の面白さが引き立ち、何より本番は気持ち良く、2mフワリ〜と飛ぶことが出来ました(笑)!お客様からは、無いはずの糸が見えるようで、本当に人形の様だった!と好評頂きました。
実は、この日の為に一年間、身体能力を高めるため、スポーツジムで秘かに身体を鍛えました。でもでも、重たい衣装を着け、いったい何kgあるのでしょう?5㌔?飛んだり跳ねたり約30分。はじめて衣装を着けた下浚い(リハーサルは一回こっきり)では、死ぬかと思いました!激しく踊った途中、糸がプツンと切れて、バタンと約2分ジッと寝るところ、あの激しい動きの後に急に静止すると心臓バクバクで辛いんです!一生忘れないホント死ぬかと思った、あのリハ!でも不思議と本番はアドレナリンが私の体から流出してくれたのか、そんなことも忘れて知らない間に本番は終わってしまっていました。お陰でこの体力勝負の演目を経験してから、やっぱり〝おどりは身体づくりが大事!〟とつくづく感じた演目。一生の課題です!
■長唄「二人椀久」初演、江戸安永三年。立方、椀久:藤間穂澄さん、松山:藤間蘇女丸。江戸時代、豪商椀屋久兵衛が、大阪新町の傾城松山と深くなじみ、豪遊を尽くした果てに、親から勘当され、髻(もとどり)を切られ、座敷牢に閉じ込められてしまい、会えなくなった松山恋しさのあまり発狂してしまう、実話を舞踊劇にした物語です。牢を抜けてさまよい歩いたり、夢枕に立つ松山太夫と仲良く酒を酌み交わす様や、痴話げんかなど、、、廓で二人、甘く楽しかった日々を、踊りと芝居で表現させれいます。一種の狂乱物ですが、私くし演じる松山は、あくまでも舞台上夢の中の人物、幻ですので、最初から最後まで幻想的に、、、また廓という世界に身を置かねばならない儚さも、役に成りきって大切に演じました。最後は結ばれず、、、どの様な演出になるかは、観てのお楽しみといたしました。どうか、結ばれなかった二人が、今世こそは・・・という願いも込めてつとめさせて頂きました。